桜の花びらに見る価値観の違い:日常の中の小さな気づき

私の家から事務所に行くまでに高校の塀際を通るのですが、その塀際から道路に大きな桜の木が一本張り出して見えます。ちょうど今が満開で、通る人々の目を楽しませてくれています。「ああっ、もう春なんだなぁ」と私も通るたびに心ウキウキとしていました。昨年もサクラを見ていましたが、雨の日に「これで花も落ちちゃうのかな」と思いながら、ふと桜の方に視線をやったところ、雨にも負けずまだまだ鑑賞に堪えるだけの花が残っていました。「おおっ、自然の力はすばらしい!」と感動しようと思ったのですが… 

桜の花びらと価値観の違い

その桜の木の下に目を向けて見ると、散った桜の花びらが散乱していました。アスファルトの黒い地面にピンクの花びら、そのコントラストもまた美しい。ですが、ふと疑問が湧きました。

「この花びらはいったいどうなるのだろう?」土の上なら土壌微生物の働きでまた土に返っていき、肥やしとなってお役に立つでしょう。でもアスファルトの上では、結局誰かが掃除しているのだなぁと思い、公道だから市の清掃局がするのかな?それともその道路の前の家の人が掃除するのだろうか?と考えながら歩いていました。

同じ桜の花びらも、木に付いている時は美しく、はらはらと舞う桜吹雪もまたきれいですよね。でも、落ちた後はやっぱりゴミになるのでしょうか?見る立場が変われば、価値観も異なってきます。

 

価値観の違いとカウンセリング

クライアントから「もうすぐ彼と結婚するんですが、なんか価値観が違うような気がするんです」とよく相談されます。カウンセリングを進めていくと、彼女の言う「価値観の違い」とは、実は「嗜好の違い」だということに気がつくのです。その時、私はこんな話をします。

「彼とデートしていて、彼が飲んだ缶ジュースの空き缶を“ポィッ”っと捨てたとしましょう。あなたはどう思いますか?」もちろん、ポイ捨てはダメですが、ここではモラルに焦点を合わせるのではなく、「彼の行為を違和感なく受け入れられるかどうか」に注目してほしいと伝えます。

この行為に嫌悪感を感じる人もいれば、「別に」と思う人もいます。相性というのは二人の間のことだから、当事者同士が違和感を感じなければ問題ない。でも、微妙な感覚があるのであれば、それが後々尾を引くことがあります。それを価値観として捉えてもいいかもしれません。

 

物の見方、捉え方の違い

物の見方、捉え方についてよく使う例が、「ビンに半分のウイスキーが入っている話」です。ある人は「もう半分しかない」と考え、別の人は「まだ半分もある」と考えます。皆さんはどちらの考え方ですか?

ポジティブシンキングについて触れる人もいますが、私はそれぞれの考え方がその時々に応じていいと思います。例えば、ある時は「まだ半分もあるじゃん、頑張ろう!」と思う時もあれば、「もう半分しかないのか、どうしよう…」と感じることもあります。人の心は流動的で、変化していくものです。

ポジティブシンキングには時として弊害もあります。しんどい時はしんどいし、その時は無理に頑張るのではなく、充電が必要な時もあります。それが人間らしい自然な流れです。

 

価値観の変化

今ある常識が10年前には非常識だったかもしれませんし、今後無意味になることもあるかもしれません。絶対的なものなんて存在しないのではないかと感じます。

春になれば桜が咲き、散り際には潔く散ります。それも自然の摂理です。しかし、この桜の存在は、今年は知らない間に咲いていたなぁと感じることもあります。

 

桜の花びらから見える価値観の違い、そして日々の生活の中で見つける小さな気づき。皆さんも周りの景色に目を向けてみると、新しい発見があるかもしれませんね。