わたしを“扱いやすい自分”にしない
“いい人”でいようとする習慣
「いい人でいなきゃ」
「迷惑をかけちゃいけない」
「感情的にならず、穏やかに」
「空気を読んで、相手に合わせる」
こうした“自己コントロール”が身についている人は、人間関係の中で、よく「扱いやすい人」と言われます。
でも、その“扱いやすさ”の裏側で、自分の本音や感情、限界や望みを、ずっと我慢してはいないでしょうか。
ホリスティックヘルスから見た「健やかさ」
ホリスティックヘルスの視点から見た「健やかさ」は、外から見て整っていることより、内側がほんとうに調和していること。
つまり、自分に対して誠実であることが、癒しの出発点なのです。
“扱いやすい自分”というのは、他者からの期待に応え続けるうちに、自分の輪郭がぼやけてしまった状態とも言えます。
- 嫌なことを断れない
- 本音が言えない
- 「いいね」と言われたくて頑張ってしまう
- 迷惑をかけたくないから無理をする
こうした状態が続くと、知らず知らずのうちに「ほんとうの自分」が奥に押し込まれていってしまうのです。
“扱いやすさ”を卒業するためのヒント
では、どうしたら私たちは「扱いやすい自分」を卒業できるのでしょうか?
まず大切なのは、「違和感を無視しないこと」です。
本当は「いやだな」と感じているのに、自分に「大したことないよ」「気にしすぎ」と言い聞かせてしまう。
それは、自分の声を否定する習慣になってしまいます。
違和感は、小さなSOSです。それを感じ取ってあげることが、自分との信頼を育てる第一歩。
「私はいま、どんな感じがしているんだろう?」
この問いを、日常のなかで繰り返してみてください。
次に、「自分を優先する許可」を与えること。
多くの人が、「誰かを優先することがやさしさ」だと信じています。
でも、自分を後回しにしてばかりいると、いずれは心も体も、疲れ果ててしまいます。
「いま、私はどうしたい?」
この問いを持つことは、わがままではありません。
むしろそれは、“わたしを大切にする責任”を引き受ける、成熟した行為です。
そしてもうひとつ、「自分に正直な関係性」を育てること。
「扱いやすい私」でいることで成り立っている関係は、どこかで無理が出てきます。
本音を言えない、弱音を吐けない、違和感にフタをする関係は、心の深い部分では“孤独”につながります。
でも、自分に正直にふるまうことで、本当に大切な人たちと、もっと豊かな関係が育っていきます。
少しずつ、自分に還る
もちろん、すぐにすべてを変えることは難しいかもしれません。
でも、少しずつ「自分の声を聴く」「違和感に気づく」「小さく断る」
そんな実践を積み重ねることで、“扱いやすさ”ではなく、“ほんとうの私”として生きていく道が開かれます。
私たちが本当に大切にしたいのは、誰かにとって都合のいい存在ではなく、「私という存在の、まるごとの価値」ではないでしょうか。
問いかけが、癒しの根になる
今日からぜひ、問いかけてみてください。
- 「私は、誰かのために“扱いやすい私”を演じていないだろうか?」
- 「私自身のほんとうの気持ちは、どこにあるんだろう?」
- 「いま、自分のためにできる優しさは何だろう?」
あなたの人生にとって最も大切な人は、あなた自身です。
そのあなたが、自分の心にウソをつかずに生きること。
それこそが、ホリスティックヘルスが目指す“癒しの根”なのです。