全体性の視点を暮らしに持ち込む
前回までの配信では、“私という小宇宙”に目を向けることの大切さや、体・心・霊性がそれぞれに響き合いながらひとつの存在として生きているということ。そして、その調和こそが本当の健やかさの土台である、ということをお伝えしてきました。
今回はその延長線上として、その全体性の視点を日々の暮らしの中にどう根づかせていけるのか?というところを、一緒に探っていきたいと思います。
「全体性」という感覚は、実は誰もが求めているもの
「全体性」と聞くと、どこか哲学的だったり、抽象的に感じられるかもしれません。
でも、実はこの“全体としての感覚”を私たちは日常の中で自然に求め、感じ取ろうとしているんです。
たとえばこんなとき——
-
心の中がバラバラで、やることだけが積み上がっているとき。
-
本当は違和感があるのに、予定やタスクで自分をいっぱいにしてしまうとき。
-
「何かが足りない気がする」「なぜか落ち着かない」と感じるとき。
こうした“うまくいっていない感覚”の正体は、実は「全体性が欠けている」というサインかもしれません。
分断された自分ではなく、“ひとつながりの自分”で暮らす
体は疲れているのに、心にムチ打って動きつづける。
本音では嫌なのに、周囲の期待に応えようと無理してしまう。
思考ばかりが先回りして、感情や感覚が置き去りになる——。
こうした状態が続くと、私たちの内側にズレやひずみが生まれます。
そしてそれが、焦燥感や違和感、ひいては慢性的な疲れや不調へとつながっていくのです。
でも、ほんの少し立ち止まり、
「私は今、全体として整っているだろうか?」
「体も心も、大事に扱えているだろうか?」
そんな問いを日常の中に差し込むだけで、世界の見え方が変わっていくのです。
暮らしの中で“全体性”を取り戻す3つの視点
では実際に、どんなふうに全体性を暮らしに持ち込めばいいのでしょうか。
ここでは、簡単にできる3つの視点をご紹介します。
-
からだの声に耳をすます
疲れているときは休む。お腹がすいていなければ無理に食べない。
小さな違和感に気づき、それを否定せずに受け止めることが、調和の第一歩です。 -
心に正直であることを許す
「本当はどう感じている?」と自分に問いかけてみる。
怒りや悲しみ、迷いも、心の一部としてまるごと扱うことで、分断が癒えていきます。 -
意味の感覚(霊性)とつながる時間をもつ
忙しさの中でも、ほんの数分、自分の内側に静かに戻る時間を持つこと。
自然や音楽、祈りや瞑想など、何か“私を超えたもの”とつながる習慣は、魂の滋養になります。
小さな全体性の感覚を、日常に灯していく
大切なのは、“完璧に整えること”ではありません。
むしろ、どこかに偏ってしまったときに、「あ、今ずれてるな」「ちょっと立ち止まってみようかな」と気づけること。
体、心、霊性。
それぞれがバラバラではなく、ひとつの存在として響き合っているということを、私たちはどこかで知っています。
その感覚を少しずつ暮らしの中で思い出していくこと。
そして、自分という存在をひとつながりのまま生きること。
それが“ホリスティックな生き方”の土台になるのです。