真癒整体師の独り言:「祈り」を込めたタッチングセラピー

こんにちは、健康塾「ホリスティック・ヘルス・ラボ」ナビゲーターの岡田です。

 

本日は番外編:真癒整体師の独り言 – 「祈り」というテーマでお話しさせていただきます。

 

今年も選抜高校野球が始まりました。私はあまり球技には縁がないのですが、テレビで観戦するのは結構好きなんです。特に応援しているチームがあるわけではないのですが、その時々の状況で楽しんでいます。高校ラグビーなどは毎年正月の決勝戦は見ています。母校が常連校だったなので、優勝すると「やったー!」と心の中で叫びます。

 

球技と格闘技:体から離れる瞬間、触れる瞬間

球技の特徴は自分の体から球が離れていくところに着目しています。手を使うにしろ道具を使うにしろ、手から離れた後は「運を天に任す」と表現できるのではないでしょうか。私は長い間空手をしていました。格闘技は、自分の手なり道具なりを、相手にコンタクトさせるのが目的です。逆に球技は、相手にコンタクトされない様に工夫すると言っても過言ではない。

 

バスケットのドラマや漫画で、試合時間残り 1 秒でシュートが放たれ、ボールが飛んでる間にタイムアップになるが、有効時間内に放たれたシュートは得点になるブザービートという場面がありますね。みんなが固唾を呑んで見守っている。味方は入れと願うし、相手方は外れろと願うだろう。そして結果が出て終わりと言うパターンがある。

 

野球にしても最初「入らないかなぁ」と思った打球が、風に乗って逆転ホームランという劇画さながらの場面も少なくはありません。

 

日本人と祈り:見えない力への信頼

日本人は雑宗教といわれている。結婚式は教会で挙げて、子供が生まれたら一ケ月目には、お宮参りにと神社に詣で、死んだらお寺でお葬式。普段、神仏を信じない人でもいざという時には「神様仏様」とお願いする始末だ。きっと野球でも「ホームランになれ!」っとお祈りしているのだろう。もちろんこれは悪いことではない。「人事を尽くして天命を待つ」と言う言葉もある。体から離れた球には祈るしかないのだ。そして私たち人間には見えない大きな力が働く事がある。それは一生懸命やった人へのご褒美でしょうか

 

手から離れる球技は離れる瞬間、物(道具)に意識が乗り移るのでしょう。そう言う事は十分に考えられる。実際には手を離れる時の力具合や角度、初速のスピードなどの集合体としての結果であろうが・・・。。「一球入魂」と言う言葉が有るではないか、そう考えた方が日本チックでいいようだ。しかし外国にもこんな考え方はあるように思う。

 

整体と球技と格闘技:タッチングに込める想い

整体はタッチングのセラピーであるから、コンタクトの格闘技と近い。「整体格闘技論」です。ある側面では言えてると思う。相手が居ることだし、相手の状態や、相手との関係性を常に考えるし。手を当てる場所、角度、スピード、タイミング、力加減を工夫する。ただ目的が治癒と破壊の違いがありますが・・・。

 

クライアントとのセッションの最中に思うことは、クライアントが思うその人の価値観での健康のことです。、こちらが思う健康の価値観と、クライアントの思う健康の価値観とは必ずしも一致しない。クライアントにはなりたい自分をイメージしてもらい、押し付けはけっしてしません。人それぞれ人生が違うように価値観は違う。健康の価値観は違うのだ。

 

整体格闘議論を展開したが、別方向から見ると「整体球技論」も展開できる。さっき言ったように球技は自分の手を離れた瞬間から、お任せである。整体も最善の係わり合いさせていただいた後は、その人の自然治癒力にお任せである。その時球技のようにやっぱり心をはこぶ。これは「祈り」であると思う。「精一杯させていただきました。後は大自然の大いなる力にお任せします」そんな心境である。人が人を操作するなどという大それたことは考えていない。ただその人の自然治癒力が最大限に発揮できるように、準備を整えさせていただき、呼び水を少し注がせていただく感じです。それで喜んでいただけるなら幸せでありそんな整体がしたいとね願っています。