最近、どれくらい「何もしない時間」を持ちましたか?
スマホを触らず、仕事のことも忘れ、ただぼんやりしているような、そんな“空白の時間”です。現代社会では、何かしていないと「もったいない」「遅れている」と思われがちですが、実はその“空白”こそが、私たちを育てる時間でもあるのです。
ホリスティックヘルスでは、休養は単に「体を休める行為」ではなく、「心・体・魂のすべてに栄養を与える時間」と捉えます。そのためには、“何もしないこと”を恐れない心が必要です。今日は、その「休む勇気」と「体の声を聴く感性」についてお話ししましょう。
■ “何もしない”という贅沢
たとえば、窓から空を眺める。お気に入りの椅子に座って、何も考えず、何も目的を持たず、ただ「ある」時間。これが実は、脳にも神経系にも、そして心にも深い癒しを与えます。
このような時間には、交感神経のスイッチが自然とオフになり、副交感神経が優位になります。それにより、免疫力が整い、内臓もリラックスし、呼吸が深くなります。
つまり、“何もしない”という行為には、私たちの自然治癒力を活性化する不思議な力があるのです。
■ 体は“もうひとりの私”
では、なぜ休むことが難しいのでしょうか?
それは、私たちが日々「頭で考えること」に忙しく、「体の声」を無視しがちだからかもしれません。
たとえば、「肩が張っているな」「最近、眠りが浅いな」「胃が重い気がする」――そんなサインを受け取っても、無視したり我慢してしまうことはありませんか?
実は体は、“もうひとりの私”なのです。
言葉こそ発しませんが、痛みや違和感、重さやだるさといった「感覚」を通して、私たちに日々メッセージを送ってくれています。
ホリスティックヘルスの視点では、この身体感覚を「聴く力」こそが、セルフケアの原点とされています。
■ 感覚と感情は「魂の通訳者」
また、感覚に加えて感情も同様に、魂の通訳者です。
怒りや不安、悲しみがわいてくるとき、それは「休んでほしい」「立ち止まってほしい」という心の叫びかもしれません。
その声を聞かずに走り続けると、やがて体は“強制的な休養”として病気や事故を用意してしまうこともあります。
だからこそ、日々「少しだけ立ち止まる」こと。
そして、「今、私は本当にどう感じているのか?」「体は何を求めているのか?」と、自分自身に問いかけることが大切なのです。
■ 休養は“動き”をやめることではない
ここで誤解してほしくないのは、“何もしない=だらける”ことではありません。
それは意識的に「今ここにいる」ことに近い感覚です。
瞑想でも散歩でも、庭いじりやお茶を入れることでもいい。
静かな喜びとともに「自分のリズム」を取り戻す行為。それが本当の意味での“休む”なのです。
いかがでしたか?
今日は「休む勇気」と「体の声を聴く感性」という二つの切り口から、ホリスティックな休養について考えてみました。
“何かをすること”だけが人生を前進させるのではなく、“何もしない時間”が、実はあなたを根っこから育てているのかもしれません。